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写真のこと

写真のことをいつも考えている。

感動的瞬間を前にして、どうして目に焼き付けるだけでは足りないのだろう。いつか全て忘れてしまうと知りながら、どうして残したいと思ってしまうのだろう。答えはいつも出ないまま、それでも写真を撮ってしまう。

同じ瞬間は二度と来ないことを自覚すればするほど、何かを見逃している気持ちでいっぱいになる。昔飼っていた犬の写真が少なかったこと。久しぶりに家族に会った時に頭をよぎる残り時間。もう思い出すことのできない記憶の数々。目にうつるもの全てを必死に撮ろうとすることもあれば、見返す時には同じような気持ちでは見れないだろうと暗い想像をして撮らないこともある。

風景写真を好んでよく撮るのは、それがずっと変わらないものだからだ。数十年前、数百年前から同じようにそこにあって、数十年後、数百年後もきっと残っているであろう自然の恵や季節の輝き。撮る時も見返す時も、悲しい気持ちになることはない。

はじまりは海の写真だった。バイト代で買ったカメラを持って毎日海へ行った。海のあるまちで生まれ育った僕にとって、それはとても自然なことだったように思う。海はいつも何度でも美しくて、優しくて、大きくて、そんな光景を、あの頃から数年が経った今でも未だに撮り続けている。

変わらない風景を撮り続ける意味は、その普遍性の中にある。海を見た時に抱く感情、「夏の終わり」と聞いて感じる寂しさ、田園風景を見た時になぜか浮かんでくる懐かしさ。ずっと変わらないものだからこそ、多くの人と共有できる景色や思い出がそこにあると信じるようになった。

だから、どこかに行かなくては撮れない写真よりも、どこにでもある風景を通じて、その景色の向こう側で、人の心や過去・未来とつながる写真を目指している。

だけど、最近は変わっていくものにも向き合いたいと思うようになった。人の写真もたくさん撮るようになり、街並みの写真を撮ることの面白さも知った。そうやって自分も少しずつ変わってきたし、これからも変わっていくのだろう。社会が大きく変わりゆくこの時代の中で、変わるものと変わらないものを両方見ていたいと思った。

変わっていってしまうことだけは変わらないことならば、その向こう側に何を見出し、どんな記憶や感情とつながることができるだろう。

『ふげん社写真賞』という賞の募集を知って、自分が写真を撮る理由を今一度考えている。応募までの数ヶ月を、写真とこれまで以上に向き合う良い期間にしたいと思う。

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